文化功労者、神戸ジャズの代名詞・SONEの名女将・曽根桂子さんについて語ろうとすれば様々な修飾詞や、解説がつくだろう。とにかく逸話(エピソード)にはことかかない人である。ただ、ここでは、神戸ジャズ界における『SONE』、すなわち女将の偉業を崇めるのではなく、身近にいる現役のカッコイイ女性としての女将を紹介したい。
「こんなに可愛い78歳見たことない」。それが第一印象だ。女将を見ていると、人は(特に女性は)年は関係ないと実感する。特に背筋の伸びた美しさは見習いたいものだ。取材メモをとっているとついつい猫背になってしまうが、そんな時シャンとした女将の姿の目の端でとらえ、座り直すフリをして背筋を伸ばしてみたり。目が離せない女性でもある。身体と視線をまっすぐ聞き手に注ぎ耳を傾ける。相手が誰であろうと接し方はかわらない。それが女将の人に対する基本姿勢なのだろう。苦労してきている人ほど、やさしく懐が深い。余裕のある人にほど、飛び込んでいける。取材に限らず対人関係でもいえるところだが、そういう人との時間は居心地がよい。取材メモを取る手をとめて、聞き入ってしまいたい。わぁ・・と驚いている間に、話は次の話題へ。それって、そんなにサラッと流しちゃっていいことなの?思わずこちらで話を一旦とめてしまう。「そんな大仰なことじゃないの。一生懸命お仕事してるだけなのよ」と微笑む女将。私にとっては女将の存在そのものがカルチャーショック。何がすごいかって、いくつになっても変わらない、感じるまま動く、素直なでひたむきな心を持ち続けていること。その心が芯にあるからこそ、今の創業36年の老舗SONEがあるのだなと思う。私たちの目にも十分かっこいい女将。今はかっこよいだけでもダメ、可愛いだけでもダメ。その両方をあわせもった女性が注目されがちだが、女将はまさにしっくりくるのでは??
大正から平成、色あせないどころかさらに輝きを増す、元祖キャリアウーマンだ。

女将からを取り巻く空気、それは大らかでハイカラ、いわゆる昔ながらの神戸の気配。街のそこここ、あるいはその空気を吸収して育った生粋の神戸っ子に感じる神戸の粋。ソネさんのルーツをたどれば、不可欠なのは父母の存在。母は当代きっての才女。当時「習い事といえばYMCA」のある中山手6丁目(当時)。母はそこの常連だった。ピアノ・オルガン・お習字、何をするにもプロ並みの腕前。戦時中にはなんと50歳にして速記の資格を取得し、当時の軍部で活躍。豊かな才能をもち、それを磨くための努力を惜しまない人だった。また、鳥打帽が違和感なくきまるハイカラなお父さんは、いつもイギリス紳士であるかのような出で立ちで颯爽と街をゆく。当時大流行していた花隈のダンスホールでも一際目立つダンスの名手であり、演劇や音楽をこよなく愛する人だった。そんな生粋の神戸人である父母の特にお気に入りだったのがジャズ。「当時のジャズはダンスミュージックだったのよね。いたるところでジャズの音色を浴びるように聴いていたし、お父さんとお母さんが好きなものとして、生活の中に当たり前のようにあったの」。そんなご両親が特に好きなジャズを聴くとき、レコードをかける役はきまって小学1年生の女将。レコードをそろりと盤にのせ、当時竹の針をそっとおろす。手動式の蓄音機(女将のジュークボックス)を回しながら、次々とレコードをかえていく。右腕を始終回転させながらのお手伝いは、「腕が疲れてね。早くお外に遊びに行きたいって時もあったわねぇ」だそうだが、そこにもお父さんの優しい記憶がある。「レコードに書いてあるタイトルって、英語でしょう?まだ読めないの。そうしたらお父さんがレコードに布の絆創膏をはりつけてそこにカタカナで書いてくれてね。“ジャズ”とか“タンゴ”とか」。ジャズのって軽やかに踊る大好きなご両親のいる風景。お友達とつま先立ちで覗いたダンスホールの賑わい。そんな決して特別ではない日々の記憶、それが今女将のジャズを愛する土壌になっているのだろう。ジャズに限らず芸術を理解するにはその鑑賞者の感受性の豊かなうちに本物にふれること、それが本物を見極める眼を養うという。女将の場合はそれが日常であったわけで、そんな土台の豊かさに旧き良き神戸が見え隠れする。さぞやご自慢のご両親だったのかと思いきや「当時はそれが普通だったの。父母のような人が大勢いたわ。もちろん今でも大好きだけれど」そんな言葉からも然り。それにしても小学1年生にして、レコードをかける女将はさぞ可愛いかったのだろうな。今ぜひ見てみたいですね。こどもの純粋な心を損なうことなくそのまま大人になったような人だから。
そんな女将がライフワークにしているのは草の根のジャズ好き人口を増やしていくこと。特に若い人たちがジャズを知るきっかけ作りをしていきたいと、自ら全国の中学校に修学旅行生の誘致を呼びかけた。「それが、私のライフワークだと思ってるの。今までたくさんの方々に応援していただいたから、今度は私のできることでお返ししたくて」。つい先日も、東京・町田市立鶴川中学校よりやってきた総勢10名の吹奏楽部員が、SONEでスウィング*スウィング。プロとのセッションにも物怖じすることなく、練習の成果をお披露目。その出来には、プロの演奏家の意気をあげ、会場の熱気は最高潮に。女将はその時のことをやわらかに語る。「舞台の袖にね、出番直前の若い子たちの頭が一列に並んでいるのが見えてるの。緊張もピークのなか、演奏の邪魔にならないように、最後の調整としてそーっと音あわせをやっている。それを見ていると愛しくって」。女将が微かに上下する頭に見惚れていると、顧問の先生が「あの子達、憧れのSONEで演奏できるって喜んで、本当に頑張って練習したんですよ」と一言。その言葉に視界が涙で霞んだ。(もちろん、実際の演奏についても、「見て!この指ピンと伸びているでしょ。自信をもって演奏してるの。堂々としたものよ。実際の演奏もプロに負けてなかったわね」とお墨付き。)映画「スウィングガールズ」のヒットが火をつけた全国の中高生のジャズ魂。映画が公開された時は、見えない力が後押ししてくれているようで「キャーッ」とパンフレットを抱きしめたという女将。その感激が、今まさに目の前で何十倍もの感動を生み出している。感動が感動を呼ぶ。ジャズ発祥の地に恥じない演奏をという演奏家の気愛も一つ。プロが若い力とその高い技量に触発されて、思う存分腕を振るうのも一つ。(演奏後、プロから次々に「ママ、今日呼んでくれてありがとう。幸せな時間やったよー」と声をかけられたそう) そして、SONEに集まる皆の期待にこたえようとする女将の心の熱も一つ。「どこを切り取っても笑顔にあふれていた」というSONEの夜。さらにエンジンのかかった女将を止めるものは何もない。今後もライフワークとして、遊び心を忘れずに若いジャズファンと楽しい時間を過ごしていきたい。「若い時に知っておくってやっぱりいいのよ。その後20年なり30年なりの時間を経てからでも、聴けばその時の感動がぱっとよみがえってきて、すんなり溶け込めちゃう。感覚ってすごいわよ。その時に、『ジャズ演奏を初めて聴いたのは、神戸のSONEだった』って言ってほしいわねぇ。それって、とっても素敵なことだもの」。ご自身の経験に基づいているので、説得力がある。

「あと50年は頑張ってもらわないとね」というファンの声に、「そんなの無理よ〜」と手をふる女将だが、ひょっとすればひょっとするかもしれない。

それではシメはやはり女将にお願いしましょう!
「このお昼のJAZZライブは、学生さん(若い人)たちのためにやっていきたいんですよ。吹きたい人に吹かせてあげたいの。学生さんの間は、(生のライブ演奏を聴きにくるには)おこづかいももったいないし、お昼しか時間がないでしょ。大学生や大人になったら自由だけど。だから、うちのお店のお昼はそういうことに使っていきたいの。営業は夜も一生懸命頑張ってきてますからね。今まで色々苦労してきたでしょ。だから、お昼の時間は(売上げじゃなくて)若い人たちとJAZZを楽しみたいの。もうおばあちゃんだけど、私でできることがあれば、何かしたいなと思って。皆もすごく喜んでくれるし、私も感動しますでしょ。それを続けたいの。これから、これを私のライフワークにしていきたいんですよ。」
率直でやわらか、女将の話し言葉ってとってもステキだと思うのですが、
equiv読者の皆様さんはどんな印象をおもちですか??
(注)曽根桂子さんを表す表記はすべて「女将」で統一させていただいております
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