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■ 第三回:『阪神間モダニズムの代表的な音楽家 貴志康一』

 貴志康一は1909年(明治42年)大阪に生まれ、芦屋で育ちました。ヴァイオリニストとしてデビューしたのち、作曲をパウル・ヒンデミット、指揮をヴィルヘルム・フルトヴェングラーに師事し、1934年(昭和9年)にはベルリンフィルハーモニー管弦楽団を指揮して、自作の交響組曲「日本スケッチ」、交響曲「仏陀」などを初演しています。日本でも新交響楽団(現NHK交響楽団)を指揮し、本邦初の暗譜による第九交響曲を演奏するなど活躍しましたが、1937年(昭和12年)、わずか28歳で他界しました。
 貴志は1971年製のストラディヴァリウス「キング・ジョージ三世」(英王室買い上げで、ジョージ三世が愛用していたもので、現在はスイスの財団が所有)を演奏に使っており、日本人が最初に耳にしたストラディヴァリウスであったといわれています。また湯川秀樹が1949(昭和24年)年に日本人初のノーベル賞を受賞したとき、授賞式晩餐会では日本の代表的な曲として貴志の「竹取物語」が演奏されました。

 もともとは音楽よりも美術(油絵)を愛していた貴志ですが、1922年(大正11年)、12歳のとき神戸・新開地の衆楽館でヴァイオリンの世界的巨匠だったミッシャ・エルマンの演奏に衝撃を受け、啓示を受けたようにヴァイオリンの練習に集中していったといわれています。そして阪神間モダニズムが見えない神の手のように結びつけていった運命的な音楽家との出合い(例えば、亡命ロシア人ヴァイオリニストのミヒャエル・ウェクスラーなど)などを経ながら、甲南高等学校2年(17歳)のときに神戸港から単身でジュネーブ国立音楽院へと留学し、優秀な成績で卒業します。そしてヴァイオリニストとしてデビューし、音楽家としての地位を築いていきます。この生来の社交性や華やかさを持ち合わせた天才音楽家を育んだのは、多様な文化(人)の受容・交流・発信の拠点となった阪神間で醸成された都市文化(阪神間モダニズム)であったと言えます。
 没後、貴志は長い間その実像が知られていませんでしたが、近年再評価の機運が高まっています。2003年10月10日に貴志の作品を集めた演奏会が神戸市の松方ホールで行われました。「よみがえる天才音楽家貴志康一」と題され、小松一彦の指揮のもとに、神戸市混声合唱団も貴志の歌曲を披露しました。

 貴志の遺品はご遺族から母校である甲南高等学校・中学に寄贈され、貴志康一記念室で大切に保管されています。

 

参照文献:
「阪神間モダニズム」(阪神間モダニズム展実行委員会編著)における小野高裕氏「音楽家の誕生◆貴志康一」
「ロシア人音楽家たち」
「日本人の足跡」産経新聞平成13年9月17日
甲南学園貴志康一記念室発行の資料 ほか多数

 

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